広告クリエイティブの可能性を追求しつづける。DE・牧野圭太の見据える文化的価値の生産

※この企業の求人は現在掲載されていません

クリエイティブディレクター・牧野圭太が、2021年初頭に新たな会社を立ち上げた。名前は「DE(ディーイー)」。接頭辞の「DE=脱」が由来で、「逸脱」や「脱線」がテーマになっている。

これまでも様々な場で“これからの広告の在り方”を提言してきた牧野は、広告という仕事を通じてESG/SDGsに取り組み、自身の理想の実現を目指していくという。

今でこそ、多彩な仕掛けで注目を集める彼だが、数年前には会社員として苦しんでいた時期があったという。どのようなきっかけがあって、現在のような立ち位置を確立したのだろうか。その過程に迫った。


広告は「企業の問題解決」から「社会の課題解決」へ

ーーDEは英語の接頭辞「DE =脱」が由来になっているそうですが、なぜこの社名にしようと考えたのでしょうか?

僕は2015年に博報堂を退職して文鳥社を立ち上げたのち、広告クリエイティブの可能性を広げるために、株式会社エードット(現・株式会社Birdman)の100%小会社として、株式会社カラスという会社を設立、後にエードットの取締役副社長に就任しました。そこから独立する形で、2021年1月から、デザイナーの柴田(賢蔵)とDEを共同創業しました。

柴田とは、博報堂の2年目くらいから同じチームで仕事をしていて、もう10年近くになります。柴田がデザイナーで、僕がコピーライターのチームでずっと動いていました。僕のデザインに関する知見はほとんど柴田から学んだものだし、僕の仕事のほとんどは柴田とつくってきたものです。柴田と出会わなかったら、僕は今この仕事をしていなかっただろうと思います。だから、DEは大きく言えば、やっぱり「デザイン会社」ではないかと考えています。

広告の仕事を通じて感じているのは、企業の生み出すべきサービスやプロダクトが限界を迎えているのではないかということです。一昔前とは違って、人の暮らしの便利さはほぼ達成されているし、世の中には優れたものが溢れています。

その結果、わずかなスペックの差で競い合い、それを「広告でなんとか売ろう」というようなことが起きています。個人的にはそういう仕事のあり方にほとんど興味が持てなくなりました。

一方で、解決できていない深刻な「社会課題」がたくさんあります。環境、人権、ジェンダーの不平等などの問題など、SNSでもよく議論されるようになっていますよね。個人的には、それは大きな進歩だと考えています。そういった社会の「課題」を企業と一緒に解決するような、より良い未来を作っていくことに貢献したい。これからの広告の役割は、「企業の問題解決」から「社会の課題解決」へシフトすべきだと考えています。

牧野圭太
広告クリエイター。博報堂出身。文学作品を最大16ページにまとめた「文鳥文庫」を販売する文鳥社や、株式会社カラスを経て、2021年1月より株式会社DEをデザイナー柴田賢蔵と共同創業。「社会性のある広告コミュニケーション」を軸に、社会を前に進めるためのインパクトある広告事業を次々と打ち出している。2021年3月に書籍『広告がなくなる日』を上梓。

ーーそのための会社がDEだと。

DEという会社は、それだけではありません。あくまで僕個人の意志で、他のメンバーの意志は別のところにあります。DEは、それぞれの意志と能力を持つクリエイターの集まりであってほしい。

少なくとも僕自身は「企業の問題」と「社会の課題」を結びつけ、その双方を同時に解決していくコミュニケーションに取り組んでいきたい。「アウトプットの形式」は広告にこだわりません。ときに広告であり、店づくりであり、プロダクトやサービス開発でもいい。出口や形式にはこだわらず、ひたすら面白いことに挑戦していきます。

ーー最近はどのような取り組みをされていますか?

例えば、こくみん共済coopと渋谷区と一緒に『もしもプロジェクト渋谷』という防災・減災の普及啓発活動に取り組みました。これは、東日本大震災から10年を迎えた今年、過去から学び、「もしも」を考えて「備え」を実行していくことを目指すものです。渋谷区の協力のもと、様々な企業に参加していただきました。

こくみん共済 coop 、渋谷未来デザイン、渋谷区観光協会の3団体が主催し、渋谷区の後援を受けて実施された『もしもプロジェクト渋谷』。渋谷という街全体を使い、ポスターなど震災への意識を高めるサイネージ、防災・減災を学ぶ展覧会「もしも展」や、防災グッズを集めたセレクトショップ「もしもストア」などを展開した。

2021年3月に『広告がなくなる日』(クロスメディア・パブリッシング)という本を上梓したのですが、そのタイミングで「3% = SUN PERCENT」というブランドをスタートさせました。このタグがついている商品を購入すると、売上の3%分が寄付プラットフォームの「SOLIO」を経由して寄付される仕組みで、いろんなブランドと提携してプラットフォーム化したいと思っています。まずは自分の本から導入して、すでに22万円ほど寄付をしています。同時にいくつかの団体から問い合わせをいただいていて、まだこれからというところですが、とても大きな可能性を感じています。

「3% = SUN PERCENT」のブランドタグがついている商品は、「売上げの3%分が寄付される」という仕組みだ。

クリエイティブ=自発性。もっと利己的な仕事を

ーー様々なプロジェクトを進められていますが、仕事をするうえで大切にしているルールはありますか?

ものすごく馬鹿みたいな言い方ですけど、“自分のやりたいことをやる”ということでしょうか。自分のやりたいことができている人って、けっこう少ないと思うんですよね。広告業界は特にそうで、もちろん依頼主の課題解決が優先ではあるのですが、もっと個人の意志を盛り込んでもいいと考えています。自分の興味や好き嫌いでもいいし、それこそ自分の好きな俳優をキャスティングするでもいい。もっと利己的でもいいんじゃないかな。

たとえば、僕が去年携わった三ツ矢サイダーの「#守りたい夏」というプロジェクトは、そもそもパッケージをリニューアルし、ラベルが軽量化されたことを訴求するのが目的だったんですけど、企画には「夏にまつわる環境問題」を盛り込んで、日本の象徴的な夏を写真で応募してもらうコンテストとして企画を提案しました。

なぜ、「#守りたい夏」というプロジェクトを提案したかというと、近年になって猛暑や大雨、台風による、自然災害がすごく増えているじゃないですか。それによっていつか子供たちにとって「夏=災害の季節」になってしまうんじゃないかと考えていて、そういう問題をみんなで考えるきっかけにこの広告がなればいいなと思ったんです。極めて個人的な思いを、企画に盛り込んでいます。でもその方が「熱量」のある企画になるだろうと思うんですよね。

ハッシュタグ「#守りたい夏」をつけてSNSに投稿すると、写真・イラストがフリー素材として、サイトに寄付される仕組みです。多くの人の素敵な夏の思い出、夏の情景が投稿されることで、「夏を守ろう」という思いを作り上げていく取り組み。

ーーそういう意味で言うと、広告クリエイターの立ち位置も変わってくるのかもしれないですよね。かつてだったら「広告を作品と呼ぶのはどうだ?」みたいなことを言われていましたが、牧野さんは自分の意思を広告に乗せた方がいいという考え方ですよね。

僕自身も「作品」という呼び方は基本的にしませんが、クリエイションの大事な要素は「自発性」だと考えています。自分の内側から生まれる衝動から、自分で行動することです。でも、広告業界はずっと「受注/下請けの構造」で動いています。それをすごく「もったいないな」と思っていました。

「広告クリエイティブ」というのはとても特殊な能力です。コピーライティング、デザイン、企画(アイデア)……複雑に入り組んだ課題を、クリエイションで「解決」しようと試みは「広告外」の領域にも活かせるもの/活かすべきものだとずっと思っています。

だから、他社からの依頼だけでなく、自分の「意志」で「自発的」に行動する人が増えたらいいなと思うのですが、クライアントワークのサイクルから抜けるのって、とても難しいんですよね。僕もまだ悪戦苦闘している段階です。広告領域においても、より「自発的なプロジェクト」のようなものが増えたら、もっと面白い仕事になるだろうと想像しています。

ーー牧野さんが言う“自発性をもつ”ということを、実践できない人が多い理由は何だと思いますか?

社会そのものが「システム中心」に動いているからだと思います。個人性や固有性を排除して効率化を図るために、あらゆることがシステム化されている。システムが優先されて、個人は蔑ろにされる。「こういうことをやりたい!」と声をあげたとしても、「いやそれは組織のルールでできないよ」とすぐに潰されてしまう。

だから僕は、常識とか権威とかシステムとか、そういうものに抗っていたいという気持ちがとても強くあります。『広告がなくなる日』も本屋で買ってほしいと思ったから、Amazonでの販売をしないようにしたかったんです。「便利な仕組み」に依存するのではなく、本屋に行くという「不便さ」を楽しんでもらいたいと考えました。

でも、本が流通に乗ると、「勝手にAmazonに登録される」ようになっているんです。削除申請などもできません。もうそういう「システムになっている」からなんですよね。だから、僕の本はAmazonでも購入できてしまう現状があるんですよ。それでも抵抗したくて、実は在庫が出たら自分で購入していて。だから、オフィスに僕の本が大量にあります(笑)。

せっかく自分の本を出すのだから……と、本のそのものを企画として考えて、いくつかの仕掛けを施した。そのひとつが流通の仕組みへの問題提起だ。

ーーそうなんですね(笑)。ちなみに、もっと「個」が尊重されるようになれば、社会は変わっていくと思いますか?

一人ひとりの存在する意味を大切にできるようになったら、社会はもっとよくなるんじゃないかと個人的には考えています。今、孤独感とか寂しさとかを感じる人が多いのは、「システム」が優先されて「個人の思い」が尊重されてないからじゃないかと思うんです。

そのためにも個人がシステムから脱することも重要だと考えています。たとえば、大企業にいる人は転職をしてみると、自分がいかにシステムのなかで働いていたかがわかるはずです。転職という選択を一度してみることを、周りにはよく勧めています。一度システムから抜け出してみると「あ、意外と大丈夫じゃん」っていう自信になるけれど、それは抜けてみないとわからないことだったりしますから。

社会の理不尽に目を凝らす、さまざまな声に耳をすます

ーー牧野さんにとって「課題」とは、どう向き合うべき存在なのでしょうか?

電通の澤田智洋さんが書かれた『マイノリティデザイン―「弱さ」を生かせる社会をつくろう』(ライツ社)に、「進化やイノベーションはマイノリティの側に存在する」という一節がとても好きでした。資本主義の場合、多くのケースで「マジョリティの立場」を軸に物事を考えてしまうんですけど、そこにイノベーションは存在しなくて、普段フォーカスの当たらない「マイノリティ」の部分に世界を変えるきっかけがあるんだろうと僕も感じています。

ジェンダーの不平等に関する課題にしても、僕が意識するようになったのは、クリエイティブディレクターとして活動している辻愛沙子(株式会社arca代表)が身近にいたからなんです。誤解を恐れずに言えば、まだまだビジネス構造上、女性のほうがマイノリティです。役員の比率も、起業家の比率も圧倒的に少ない。

でも、彼女との日々の対話を通じて、若い女性がビジネスや社会から受ける、様々な不条理や理不尽があることを知ることができました。

ーー牧野さんにとって、辻さんの存在はものすごく大きかったんですね。

とても大きかったと思います。辻はもともと、僕よりも社会課題に対する熱量が高いし、その熱を毎日受けています。その日に起こった出来事、例えば広告の炎上や政治家の不祥事など、ときに何時間も語り合います。それをもう4年も続けているのでいろんな現象を知るようになりました。

博報堂で働いていた頃、彼女が怒って声をあげているようなことを考えたことすらありませんでした。今もそこで働き続けていたら、わかっていなかったんだろうなと思います。最近はSNSによって、人権問題やフェミニズムなどの課題が可視化されるようになりました。

また、それに合わせてアクションを起こす企業が増えていることは確かです。それ自体はいいことだけど、課題がきちんと見えていない中で行うので非難され、炎上してしまう、そんなことがたくさん起きています。

2021年の国際女性デーを祝福する、朝日新聞の連合15段広告。辻愛沙子がCD、柴田賢蔵がAD、牧野がコピーライターで制作。SNSを中心に好意的な反応を得た。

ーー付け焼き刃でなんとかなるものではないと。

例えば「フェミニズムに関するメッセージを広告したい」と企業がオリエンしたとして、1〜2ヶ月の企画期間で社会課題を理解できるわけもありません。その課題に興味関心のない人では不可能だと思います。

僕自身だって、もちろん足りていません。だからものすごく慎重になりますし、この先はいろんな専門家を交えながら、今まで見えていなかった課題をひとつでも多く見えるようにしていきたいと考えています。DEの顧問弁護士には、人権問題やESGを専門にしている弁護士に参加いただき、できる限りの準備はしていきます。

ーー牧野さんは昔から課題を見つけて解決することが多かったんですか?

それがよくわからないんですよね(笑)。なんでこういう性格になったのか。家はごく普通のサラリーマン家庭で、高校まではバスケ漬けでした。大学に入ってからは無気力な生活を送っていました。友達もほぼいなくて、ひたすら独りで本を読んで過ごしました。

ーー何が転機になったんですか?

博報堂に務めて4年くらい経った頃、このままでは自分はどこにも行けないんじゃないか……という絶望的な感覚に襲われたことがありました。「何かしなければ」という、謎の使命感というか、危機感を持って動き始めました。

そのひとつが、WWFジャパンの『PANDA BLACK -REWEAR PROJECT 2013-』という衣服のリサイクルプロジェクトです。「無料でもいいから何かお手伝いさせてほしい」と自分からメールしたことがきっかけです。

環境保護団体WWFと染物屋京都紋付のコラボレーションによるプロジェクト「PANDA BLACK」。ちょっとした汚れや傷で着られなくなった服を黒く染めなおし、服をもう一度着る=「REWARE」をコンセプトに服のエコを考えるというもの。

このときは「衣類のリサイクル」というテーマをいただきました。すぐに戻って柴田と話し合い、「汚れて着られなくなった服を黒に染めて生まれ変わらせる」ようにするという柴田のアイデアから、企画を考えていきました。同時に協力企業を探して、京都にある黒紋付染会社・京都紋付にお願いすることになり、実現しました。今は「K」という名前にリニューアルし、サービスは継続しています。

もうひとつが、旬八青果店です。株式会社アグリゲートの左今克憲さんがつくる、八百屋の立ち上げを一緒に行いました。最初は本当に小さな1店舗でしたが、現在は8店舗まで増えています。自分も店頭に立って販売をしていて、最初のお客さんであるおばあちゃんが「100円のさつまいも」を買ってくれた瞬間のことは今もありありと思い出せます。そのときも、「仕事をすることの喜び」を深く感じることになりました。

「自分がいなかったら、生まれなかった仕事」を経験することで、自信につながったし、現在の活動の礎みたいなものができました。これは「大企業の中のひとり」の仕事では得られなかったものだろうと思います。

ーー組織の中にいて、どうして実現できたのでしょう?

以前、柴田から「牧野は行動者である」と言われたことがあります。柴田はデザイナーとしてプロフェッショナルであり、アイデアを考える能力なども僕より秀でています。あまり認めたくないんですけど、コピーを書く能力すら僕より高い(笑)。

だから役割として、僕はそれを形にするために「行動する人」になります。確かにそれは得意なのかもしれません。ダメ元で誰かに連絡をして、考えるよりもとにかく行動してみます。別にうまくいかなくても、マイナスになることなんてほとんどありません。また、事前に全てを想像して実行するなんて不可能です。だったらまずは行動してみる。ダメになったら考えてみる。そんなスタンスで生きているので、確かに特殊能力かもしれません(笑)。

インタビュー中、牧野は共同創業者の柴田賢蔵への信頼をたびたび語った。自身が「行動者」であるために、欠かせないパートナーであることが伺える。

――それでいうと計画的に動くことも多いですか?

いえいえ、計画を立てるのはとても苦手です(笑)。ものすごくざっくりとした戦略のようなものは常にあるんですけど、それを何年で達成するみたいな計画性を持って取り組むことはあんまりないですね。でも、今やるべきことは何かを感じ取る嗅覚だけはある気がしています。

だから、目に前にあることをとにかくやる。そうすると、自然といろんなことがつながっていったりするんですよね。実際、数年後に世界がどうなっているのかなんて、誰にもわからないじゃないですか。コロナウィルスのこともそうですし。考えたり、予測したり、計画を立てるよりも、とにかく動き続けることを大切にしています。

6年周期で取り組みを変えていきたい

ーーDEの今後の展望についても聞かせてください。

あくまでDEというより僕個人の意見ですが、とにかく「文化的な価値の創造」に挑戦したいです。今の社会は、「経済的な価値の創造」に終始していると考えています。いかに売上をたて、いかに利益を生み出すシステムをつくるか。しかしそこに「人間性」がおざなりになっている気がしてなりません。

僕なりの「文化」の定義は「人をより人らしくするもの」です。ひとの心の在り処や形を特定するようなものごとです。便利さ、効率さというものはとても大切なことだと思いますが、それだけでは人の心が満たされることはありません。文化的価値を新たに生み出すこと、社会的に意味があると信じられるもの、そういう仕事にチャレンジしたいと考えています。

そして、自分が興味を持っていることを片っ端からやっていきます。そこに理屈とか、計画性はほとんどありません。直近だと「GO VOTE JAPAN」という社団法人を設立しようと動いていて。少しでも投票率を上げるためのものです。いろんな人を巻き込みながら、選挙に行くムードそのものを作っていきたいと考えています。

あと、6月末くらいに桜丘町(渋谷区)にお店をオープンしようと考えています。まだ内容は秘密にさせておいてください(笑)

ーー気になりますね。でも、どうしてお店をやろうと考えたのでしょうか?

ローカルな交流の場を作りたかったのと、小売に挑戦してみたかったんです。僕たちの広告の仕事って、自分たちがリスクをとって売ったりすることはなく、あくまで「代理」だし「下請け」なんです。逆に言えば、売れなくても困らない。そういう状況にずっとジレンマを抱いています。その実証・実験のためのお店です。

自社事業・自社サービス、この先は比重を増やしていこうと思います。実は、とあるWebサービスも現在開発中で近いうちに世にだせそうです。こちらも内容はまだ秘密です(笑)。

今、自主的にでもやりたい企画を並べたら、たぶん20個くらいあります。自分のキャパの限界はもちろんありますけど、できる限り挑戦したい。そのためにプライベートはほぼ捨てています(笑)。

ーーそうすると今後は、いろんなことが多角的に進んでいくんですね。最後に、牧野さん自身はこれからどんなキャリアを描こうと考えていますか?

僕は「6年周期理論」というものを提唱していて、小学校、中学・高校で6年、大学・大学院で6年、博報堂で6年、エードットで6年……そしてDEと6年区切りで人生が切り替わってきました。これまでは割と、意識的にというより、結果的にそうなってきたんです。でもここまできたら、6年周期を貫こうと考えていて、次の6年、42歳になったときは、海外に行こうと思います。拠点もフィールドも日本から離れて、まっさらに挑戦したいなと思います。

どこに行くかとかも全然決めていません。でも変化しつづけないと自分はダメになると自覚しています。行先もよくわからない人生を楽しみたいなと考えています。いつか振り返ったときに、「よくこんな道を通ってきたな。よくこんな山に登ってきたな」というように思えるような生き方をしたいです。

2027年、牧野は社会にどんなアクションを促していくのだろう。さらに「DE =脱」した“広告の在りかた”が見えてくるかもしれない。
  • TEXT BY 村上広大
  • PHOTOS BY 細倉真弓
  • EDIT BY 瀬尾陽(Eight Career Design)
キャリアにエッジを立てる