「学び合う組織」が課題を解決する──エムスリーがわずか1年半で果たしたデザイン組織変革

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デザインを経営の資産と捉えて活用することで、ブランド構築とイノベーションを推進していく「デザイン経営」。企業の存在価値を改めて定義し、目指す姿を実現していく手法としても注目されている。こうした経営手法は、キーワードだけが先行してしまい、その実体が伴わないケースも少なくない。

では実際に企業において、どのようにデザインの価値を浸透させ、活用させていくべきものなのか?本特集『経営にデザインをかけ算する』では、デザインを経営資源として重要視する企業へのインタビューを通して、その実践と組織変革について紐解いていく。


医療従事者向け医療情報専門サイト「m3.com」や、一般向け医療情報サイト「AskDoctors」などを運営するエムスリー株式会社(以下、エムスリー)。サービスの多くが医療機関向けと、BtoB企業としての性質が強いが、実は「CDO(最高デザイン責任者)」を任命し、デザイン組織を推進するなど、デザインに力を入れる企業として昨今知られつつある。その立役者の一人が、CDOを務める古結隆介だ。

だが、古結がCDOに就任する以前、エムスリーはデザイナー不足により、新規事業開発の停滞に陥ってしまっていたという。そこから1年半のあいだ、古結はなにに取り組み、どう組織を変えていったのか。そのプロセスや手法、デザインが企業にもたらす価値について聞いた。

デザイナー不足がプロダクト開発のボトルネックに

ーーエムスリーのようにBtoBを事業ドメインとする企業が、デザイン組織を標榜しているのは珍しいように感じます。

当社の創業のきっかけが、医師と製薬会社を最新の医療情報によってつなぐ「MR君」というサービスですから、当初よりプロダクトドリブンで事業を推進してきた経緯があります。ですから経営陣はもともとデザインに対する期待と感度は高かったと思います。

ただ、それが明確となったのは、2020年4月に僕がエムスリーのデザインチームに戻ってきてからだと思います。僕はビズリーチに勤める前、エムスリーに8年ほど勤めていました。『エムスリーデジカル』などプロダクト開発に携わる中で、よりデザインマネジメントの視点や考え方を身に付けたいと思い、ビズリーチへ行ったのです。

古結隆介
エムスリー株式会社 CDO / 最高デザイン責任者。大阪芸術大学映像学科卒業。事業会社など複数社経験した後に、株式会社ビズリーチにて、コミュニケーションデザイン室やデザイン組織の人事をメインとしたデザイナーサクセスにてチームマネジメントを担当。2020年4月より医療従事者向けサービスを運営するエムスリー株式会社にて、グループリーダー/プロダクトデザイナーとして、デザイン組織戦略の立案・実行、新規事業およびプロダクト開発におけるプロダクトデザインに従事。

エムスリーとは、その後もやり取りをするような関係だったのですが、エムスリーへ戻るとなったときに代表取締役の谷村格から、こんなことを聞かれたんです。「事業会社でデザイン組織が有名な企業ってどこですか?」と。僕がいろんな企業名を挙げて話していると、「エムスリーもその中に入りましょうか」と言われて。

事業会社でしっかりとデザインを生かすためには、やはりデザイナーやエンジニアが事業と結びついていること、事業に貢献できるデザイン組織をつくることが重要です。当時、エムスリーは新たな事業を生み出すため、エンジニアを積極的に採用し、100名ほどの規模になっていました。けれどもデザイナーは8名程度。デザイナー不足が事業開発のボトルネックになっていたのです。そこで、デザイン組織を変革することを頼まれ、エムスリーに戻ることにしました。

ーーデザイン組織の変革にあたり、何からはじめたのですか。

さまざまな社員からヒアリングして、まずは現状把握に努めました。その中でもっとも大きな課題として挙がったのは、やはりリソース不足。次にデザイナー同士の横のつながりが不足していることでした。

当社はデザイナーが直接事業を受け持つ体制となっていますが、事業数は公開されていないものも含めて約60にも及びます。それを8人のデザイナーで分担することになりますから、どうしても手薄な部分が出てきてしまいます。

すると事業部側としても「デザイナーは忙しそうだから……」と、自分たちでできる範囲でやったり外注したりして、デザインのトンマナやクオリティにバラツキが出てしまうこともありました。

また、デザイナーは「いかに事業に貢献できるか」と、自身がアサインされている事業に対する意識は強いものの、そのノウハウやナレッジをデザイナー同士で共有する意識が弱い部分がありました。先ほど申し上げた、横のつながり不足の顕著な例ですね。

そこでいったん、2024年にマイルストーンを置いて、そこから逆算してグローバル展開を目指せる組織づくりに必要な要素を検討しました。最初の1年は基礎づくりで、そこから3本柱を立てるイメージです。その柱は、「採用マーケティング・コーポレートブランディング」と「プロダクトデザイン」「サービスプロモーション」。今はまだ基礎づくりをしっかり行いつつ、少しずつ採用マーケティングやプロダクトデザインに取り組めるようになってきたところです。

10年振りとなるコーポレートサイトのリニューアル

ーーとはいえ、古結さんがCDOに就任してまだ半年ほどの短期間で、対外的にも変化が見られるように思います。特にコーポレートサイトのリニューアルは、3Dモデリングされた建築物を配置したキービジュアルが印象的でした。

社内でエムスリーの拡張性を表す言葉として「サグラダファミリア」が出てくるんです。職人一人ひとりが彫刻して、さまざまなデザインを象っているけど、俯瞰すると一つの建造物として成立しているし、未完成で発展し続けている。エムスリーらしさを体現するようなものだと考えています。

社内の共通言語・共通価値観である「サグラダファミリア」のモチーフに用い、3Dモデリングされた建築物を配置したキービジュアルが印象的なエムスリーのコーポレートサイト。

コーポレートサイトのリニューアルは、期せずしてデザイン組織の基礎づくりを行いながら、採用マーケティングとプロダクトデザインの両方に関連するプロジェクトとなりましたし、チームとしての大きな成長機会となりました。

実は、当社ではコーポレートサイトを10年近く変えていなかったんですよ。

ーー10年ですか……!

そうなんです(笑)。私たちのいちばんのお客さまはやはり医師の方々なので、どうしてもそちらに真っ先に意識が向いてしまうんです。幸い、サービスそのものはご紹介や口コミで伸び続けてきましたし、コーポレートサイトを考えるより、サービスやプロダクトをより良いものにしていこう、というふうになってしまっていました。

けれどもあるとき、エージェント経由で採用しようとしていた候補者の方から、「デザインを大切にしているように思えないから」と、サイトデザインを理由に辞退されてしまったんです。

確かにその指摘はもっともで、10年のあいだにWebデザインの世界は何もかも変わっていますからね。スマートフォンの最適化さえできてなかった。それで、必要に迫られて取り組むことになりました。本音を言えば、「コーポレートサイトを一から自分で変えてやる」くらいの気概を持った方に入っていただきたいところなのですが(笑)。

「デザインを大切にしているように思えないから」という手厳しい意見もあったが、コーポレートサイトのリニューアルプロジェクトは期せずしてデザイン組織の基礎をつくることとなり、チームとしての大きな成長機会となった。

ーーリソース不足を解消するためには人を採用しなければならない、けれどもそのためにはデザインの改善や発信をしなければならない。でもそのために必要な人が足りない……なんとも歯がゆいジレンマですが、どのように乗り越えていったのでしょうか。

地道にやっていくしかない、というのが正直なところですが……学びを共有して、それを実践する「学び合う組織づくり」が少しずつ形になっていったのが大きかったと思います。学びとはつまり、チャレンジして、失敗から何かを得ること。大なり小なり、普段から意識していれば、毎日何かしらか「これにチャレンジした」と言えることはあると思うんです。

それを、どんなことでもいいからとにかく共有してもらうようにしました。デザインチームとしては毎日夕方にそれを話し合えるような場を設定して、それぞれの事業チームでもそういった機会を設けてもらうことにしました。具体的なやり方はそれぞれのチームに任せましたが、それが浸透してきたことで、行動やマインドが変わってきました。目標設定の仕方も変わってくるんです。

たとえば、それまでなら「事業の数値目標をいかに達成するか」ということに限定された視点だったのが、「ユーザーにどのように価値を届けるか」「いかにユーザーの課題を解決するか」という考え方になってきた。すると、プロダクトマネージャーやエンジニアとも、本質的な課題と向き合えるようなコミュニケーションができるようになってきたんです。それは、デザイナーにとって良い変化の表れでした。

そうやってデザインチームでそれぞれの学びを共有して、各自所属する事業チームに展開されていく。そのうち事業チームからも気軽に相談してもらえるような体制になってきました。

ーーチームメンバーも増えてきたのですか?

この1年半で、デザインチームは19人になりました。ほぼ倍の数ですね。僕が戻ってきたときはまだ、デザイナーにおけるエムスリーの認知度は皆無と言っていいほどだったのですが、やっとビジネス系に強い方やシニアのデザイナーには「良い仕事していますね」と言ってもらえるようになってきました。

ジョインするメンバーも多様性が出てきたというか、先日入社したのは、前職ではハリウッドの映像プロダクションで働いていた方なんですが、入社した直後にエミー賞を受賞されて驚きました。そういう様々なバックグラウンドを持つ優秀な方が、医療領域にデザインで貢献したいと考えてくれるのは、本当にありがたいことです。

ーーコロナ以降は特に、誰もが医療の重要性を肌身で感じましたし、医療に関する関心も高まりましたからね。

そうですね。世の中で社会課題解決のできる企業はエムスリーに限りませんが、私たちはtoBと言っても、ユーザーである医師の方々ととても近い関係性だと思うんです。医師の方々と話していると、本当に「医療業界を良くしたい」「患者のために改善したい」という気持ちがあふれんばかりで。プロダクト開発にもとても協力してくださるんです。

ですから、当社のミッション「インターネットを活用し、健康で楽しく長生きする人を1人でも増やし、不必要な医療コストを1円でも減らすこと」に共感し、新しいメンバーがモチベーション高く活躍してくれることは、本当にありがたいこと。私たちがやってきたことは間違ってなかったなと実感しています。

デザイナーは組織の「ハブ」になる

ーーデザインを経営資源として捉えたとき、古結さんはその価値をどのように考えていますか。

先ほどお話しした通り、当社には約60の事業があります。それぞれの事業部にデザイナーが所属し、事業に貢献するために何ができるかを考え、プロダクトマネージャーやエンジニアと伴走しながらアジャストしていくことで、デザイナーがハブのような役割を果たせるのではないかと考えています。

それぞれの事業の困りごとをデザインチームで共有してみると、意外と共通点があったり、連携して解決できたりするかもしれない。今はそのための情報共有ができるようになってきましたから、次はそれをいかに実践し解決するか、経営的な視点を踏まえて実行できるようになるのが目標です。もし社外でそれを得意とするミドルマネージャークラスのデザイナーがいれば、ぜひお会いして話したいです(笑)。

ーーマイルストーンを置いた2024年に向けて、取り組むことはまだまだありそうですね。

それまでにはグローバルレベルに通用する組織にならなければいけませんからね。そのために必要なのは、大小さまざまな成功事例を積み重ねていくことです。エムスリーには「小さくはじめて大きく育てる」という文化があります。そういう意味では、いま進めているコーポレートブランディングのプロジェクトが、その足がかりの一つになると考えています。

最初の1年で基礎を築いて、次にやるべきはやはり、デザインチームとして共通言語をつくること。エムスリーとはどんな企業なのか……そもそもそれをやろうとしているデザインチームはどんな組織なのか。身近なところから言語化を進めて、プロトタイピングを行なっています。

とはいえ、あまり「医療におけるデザインとは」と、言語化しすぎないようにしています。医療はステークホルダーが多いですし、法規制もある。失敗が許されない業界でもあります。でもそれだけ、解決すべき課題は数多くあるということ。それを多様性のあるチームが、さまざまなアイデアを持ち寄って解決していくことが、私たちの目指す理想ではないかと考えています。

「デザイナーは組織のハブになれる」と語る古結。ステークホルダーが多い医療業界。さまざまな法規制もあるだけでなく、なにより失敗が許されない厳しい分野でもある。多様性のあるチームが、さまざまなアイデアを持ち寄って解決していくことがエムスリーにとって理想のデザイン組織の在り方だ。
  • TEXT BY 大矢幸世
  • PHOTOS BY 田野英知
  • EDIT BY 瀬尾陽(Eight Career Design)
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